料理人の始まり
『活魚を扱うこと。それが始まりだった』
割烹料理を生業にしていた母の後ろ姿を見て育ち、その支えになるために魚屋を始めた主人。しかし、「料理」への想いは消えず、ここ横浜で「てんぐ」を開業させた。
「魚の知識を生かし、食材を吟味して作る。いつも喜んでいただく料理を出そうと思っています」
努力を惜しまず作る料理は評判となり、人はこぞって「馴染みの客」となった。
「当時は小上がりとカウンターとネタケース。お客様も増えた。それならと、活魚も扱い出したけど、以前と余り変わらなかった。ケースのネタから先に出して、新鮮な魚はネタが終わってから最後に料理する。思い描く活魚屋の姿とはどこか違ってた」
「違い」は日々強くなり、胸を張って「活魚」の看板を掲げるために決心した。「カウンター全部を大きな生け簀に替える。玄関脇にも生け簀を作る」。傍らの女将は語る。
「大変だったけど、もっとたくさんのお客様が来てくださるようになった。その内、『活きの良い魚と料理が旨い。接待に使える部屋を作ってくれ』っておっしゃる方が出始めたんです」
要望は日々強くなり、主人の料理に対する想いも高まった。そして、「活魚・てんぐ」はお客様の声で生まれ変わった。
「お客様の声に後押しされての改装でした。これを機会にお客様と接するのは女房に任せて、料理だけに専念しようと思ったんです。作る世界と召し上がる世界は違うから」
主役は料理、舞台裏は見せてはならないと誓った。
食材にはせる思い
『命をいただいている。だから食材に感謝するんだ』
「仕入れは全部自分。朝2時には魚河岸へ行って、競りが始まる前に良い素材を選びます」
早朝から市場に足を運び、素材をゆっくりと吟味する。東京湾、三浦・三崎などの地魚を始め、様々な魚が生け簀に放たれる。
「北の海から南の海まで、全国の魚が泳いでいるんですよ。それだからこそ、気を付けなくちゃいけない」
同じ水温では魚も過ごしにくいと感じ、生け簀で生かされているだけでは、本当の新鮮さではないと思う。
「魚はいつも美味い状態を保たなければいけない。そのために、水温の設定を変えられる生け簀を4つ使って対処しているんですよ。一温度で管理するなんて考えられない。海が移動してきたような環境を与えなきゃ。魚もストレスを感じるし、手で触ったら火傷もする。だから丁寧に扱うんだ」
誤って触れたりしたら、鱗がはげて傷ができ、死んでしまう。運ぶ時にも細心の注意を払いデリケートに魚と接する。そこには、命に対する温かな気持ちが流れる。
「美味しく食べてあげることが供養だと思うんだよ。だから食べてもらうためにも、素材の持ち味を100%生かさなくちゃいけない。すっぽんだって姿形に抵抗感があるけど、身体に良くて美味しいんだよ。それを分って欲しかったから、一年中食べていただける『すっぽんゼリー』を作ったんだ。夏は冷たくゼリー、冬は温かくスープでね」
「命をいただく」素材に感謝し、殺生が無駄にならないようにと心を配る。それが主人の料理である。
誠心誠意「作る」
『真摯な姿勢が料理を生み出す』
「『和食』という枠にはこだわっていません。素材の持ち味を生かして、お客様に喜んでいただくのが一番だから」
素材を生かすにはどうしたら良いか、美味しく召し上がっていただく工夫は何か。それだけを自問する。
「あんきもを紅葉おろしで食べたらつまらない。ソース敷いてミルクで飾ろう、ジャガイモをムースにしてワインゼリーと一緒にお出ししよう。そんな事をいつも考えている。頭を柔軟にして、何にでも好奇心を持つようにしている」
テレビを見ている時、新聞や本を読んでいる時。いつも興味を引くのは「料理」のことばかり。「夢の中でも料理する」という、そのひた向きさは並大抵ではない。
「アイデアがひらめいて作ってみる。ダメならもう一度。新しいメニューができ上がるまで時間をかける。試行錯誤の連続。でも、努力を惜しんでいたら美味しいものは作れない」
人の何倍も努力し、誠心誠意「作る」ことに集中する。そして、新しいメニューの試食を女将に託す。
「女将が『美味しい』と言ったらメニューに加える。『ダメ』だったら何度も作り直す」
常にお客様と接する女将への大きな信頼。それは、新しい料理を生みだす支えとなり、主人の確かな自信の裏付けとなる。
「料理人の方々もよくお見えになります。でも、店にいらっしゃる方は皆さん同じお客様。私は『美味しい』と言っていただくものを作るだけですから、普段通りにするだけです」
自信の中には気負いは見えない。常に「美味しさ」を志す熱意が見えるだけだ。
料理する歓び
『今日も美味しかった。その言葉が最高の歓び』
「口にした時『美味しい』、と言っていただく最高の料理を心がけています」
作るだけの自己満足からは「真実の美味しさが生まれない」と語る。主人は、予約されたお客様が希望する素材をうかがい、それから今日のメニューを組み立てる。
「馴染みのお客様には新しく創作した料理。初めてのお客様には出会ったことのないメニュー。料理には命を懸けています」
そう言い切る横顔には料理人としての厳しさがうかがえる。お客様がメインの料理を食べていただく時間に合わせ、「最高」を作るために仕込みを始める。一分たりとも時間配分を狂わせないよう、心と技を結集させる。
「今日のお客様の体調は?お腹の空き具合は?召し上がるペースは遅い?早い?って」
「接っする私よりも、はるかに気を配っているの」と女将は笑う。女将のニュアンスからお客様の「今日の状態」を把握し、料理のさじ加減を調整する。客室が見えない板場にいても、その一挙一投足を心で見ている。
「お帰りになる時、『今日も美味しかった』と言っていただきたいだけなんだ」
多くのお客様が「今日は」でなく「今日も」と言って店を後にする。主人にとって、その言葉は最高の歓びとなる。
「『今日も』と一言。それだけで嬉しい。『一日無事に終えた』という、ホッとした気持ちになるんだよ」
店が閉まると必ず「今日」を振り返る。料理を出す段取りは良かったか。満足していただいたか。
「朝から晩までお客様と料理だ」と嬉しそうに語る主人。隣には女将の笑顔が輝いている。
「女房は無くてはならない存在。一人だったら何もできなかったと思う。二人で一つなんだよ」
その言葉には、料理に注ぐ愛情と同じ想いが見え隠れする。主人は「いつもお客様に笑顔を絶やさない」女房に胸を張り、女将は「主人の料理を喜んで頂く事が一番嬉しい」と微笑む。
誇り高い料理人と心優しい女将は、お客様と食材に感謝する想いを大切にし、心を込めた料理を出ししている。
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